父が起こした奇跡
3月末、父が息を引きとりました。
53歳、すい臓ガンとの闘病7年目でした。
5年生存率10%未満と言われていたのに、7年も頑張った。医者も、父の生命力に驚いていました。
最期の瞬間は、母が看取りました。
母は取り乱していたので、ふたりで最期の時間をゆっくりと「今までありがとう」と言い合える雰囲気でも、時間でも無かったようだけれど、
父はきっと納得していたと思います。ふたりはいつでもそんな感じだったから。
父が、そろそろ最期が近いと自分でも感じ始めたときから起きた奇跡をまとめてみたいと思います。
7年前
- 手術をしてすい臓を2/3切り取っても成功する確率は10%、もし成功しても残りあと半年です言われていたが、4ヶ月後に退院、仕事に復帰した。
父が亡くなる1ヶ月半前
- 仕事先で倒れ昏睡状態になり、残りあと1週間持つかどうか、と言われた状態から、一時退院できるまでに回復した。
- また歩けるようになるのは無理だと思われていたけど、今回もまた医者の予想を裏切り、歩けるまでに回復をしてくれた。
- 5月の挙式まではもたないかもしれないから、病院の近くの教会で仮祝言を挙げ、ふたりで早めのバージンロードを歩いた。
父が亡くなる前日
- 1週間寝泊まりして看病していた私と祖母が帰り、私達の代わりに母が病院に泊まり看病をした日。母が病院に泊まったのは初めてだった。
- 10年前に連絡が途絶えていた人から、突然連絡が来た。
- 夫が海外出張から帰って来た日。
- 夫側の全ての親族へ、結婚式の招待状を渡し終えた日。
父が亡くなった日
- 祖父母の家の前にある大きな桜の木が9分咲き。菜の花は満開だった。
- 亡くなる直前、夫の夢に出て両肩を叩いて逝った。
言葉にすると安っぽくなるけれど、こんな事が起きていきました。
きっと父は、自分が息を引き取る日を決めていたのだと思います。
母とふたりきりになれる日を。
仲良しでも、いつも愛し合ってるふたりでもなかったけれど、
父はひとめぼれした母の事をやっぱり愛していたんだと思います。
また、「2月もう無理だと言われ意識が昏睡していたけどまた戻ってきたのは、きっと三途の川を渡るための六文銭を持って無かったからだね」と夫は冗談を言いますが、
それは本当そうだったのかもしれません。
六文銭も持ってない、まだ娘とバージンロードも歩いてない、ドレス姿も見ていない、それならもうちょっと頑張ってこいよ、って引き返されたのかもしれないです。
今思えば、父がすい臓ガンになってからの7年間は、それまでの日々に比べものにならないほど濃かったです。
父がいつ居なくなるかもわからないから、一緒に居られる時間は大事にしよう。毎年正月は、「今年も一緒に無事1年を過ごせるだろうか」と思いながら、毎回実家へ帰省していました。
私が生まれた時から当たり前のように居てくれる存在が、いなくなる恐怖とさみしさを常に感じていました。
おかげで、父との思い出がたくさんできました。
父が病気にならなかったら、父の大切さも尊さも偉大さも、これほどまでに分からなかったと思います。
父は身をもって教えてくれました。
いつでも優しく見守ってくれた父。
怒ることもなく、私がやりたいといったことはいつでも応援してくれて、心配もしながら支えてくれました。
一人娘の私に、たーっぷり愛情をそそいでくれました。
その父のおかげで、私は後悔することなくかけがえのない思い出をたくさんの人と場所で作ることが出来ました。
父の姿が見えなくなってまだ間もないのでしばらくは淋しいけれど、
気持ちのうつりかわりを感じながら、私はこれからと生きていきます。
月並みな言葉だけれど、
父の娘でいられて、本当に本当に良かった。大好きです。
これからは、いつもどこに行っても一緒に居られるね。
これからもいつもどおり、優しく見守っていて下さい。