すい臓がんの父が、再び入院した。感じた事。
すい臓がんの父が、危篤状態からの回復。感じた事。
最近、調子は良いと思っていたのに、、、
昨日の夜、緊急入院した。
お腹が痛くていたくてたえられなかったそうだ。
痛み止め、いっぱい飲んでるもんね
もう、いっぱいいっぱい辛いよね。痛いよね。苦しいよね。。
すい臓がんはガンの種類の中でも、もっとも予後が良くないガンだと知っている。
それでも、最初の手術、それも末期だったのに7年も生きているのはすごい。
まだ50代だからかな。ついこの間53歳になったばっかりだよ。まだ若い。
それ以外の体の機能は、きっとまだまだ元気ということなのだろう。
昨日、散歩がてらに自分の車に乗ったらしい。
運転はしていないけれど。運転は、医者から止められている。
散歩途中に電話をした。息は上がっていたが、機嫌はよさそうだった。
私との電話を切ったあと、どこで気が変わったのか、突然「車を売る」と言い始めたそうだ。
散歩が中断し、車内の清掃になった。
母は、「父がボケはじめた」と言っていた。
その夜に突然状態が悪くなった。
1ヶ月前も、仕事中に倒れた。医者も、もう4、5日だと言っていた。
病気の事を伝えていなかった会社からは、父の意識が無い間に退職勧告をうけた。
その時期には、父は自分が長くない事を、うすうす感じていたんだと思う。
意識が戻ったあと、「3ヶ月後には、私の結婚式がある。そこまで、生きていたかったな。。。俺、持つかな。。。」という弱音を、泣きじゃくりながら言っていた。
父の気持ち次第だと思うよ、病は気からって言うでしょ、って、看病側の私達は言った。自分たちにも言い聞かせた。父が生きたい、結婚式にも行きたいと願っている希望を私が諦めちゃダメだと思った。
結婚式で着るドレスの写真を見せた日から、父の気力が変わって、驚くほど早いスピードで体調が良くなっていった。狐につままれたような気分にさえなった。
あげく、奇跡的に回復して、ご飯も食べられるようになって、入院した日から3週間後に退院した。先週の土曜日だ。
「家がマンションだけど、エレベーターが無いから、階段で5階まであがらないといけない、しんどかったけどなんとかのぼったよ。」って、退院した日の夜の電話では話してくれた。
その後、体力がなかなかもどらない中で、焦りといらだちを抱えながらのリハビリ。
変わり映えのしない家。劇的に良くなる訳でもない体。
私は電話の度に、「そんなもんだよ。ずっと寝たきりだったんだし、そんなに焦らなくてゆっくり家で休んだら良いよ」って言ってた。無責任だったかもしれない。
1週間たってもお腹に力が入っていない声。
もうずっと苦しかったんだろうな。退院する日も、家に帰ってからも。ずっといつも。
内蔵の痛みよりも、父の心が。精神が、気持ちが。芯が。
気持ちは元気になりたいと願うのに、ついてこない体。そんな体は、煩わしい重たい箱以外のなにものでもない。
今日で、結婚式まであとちょうど2ヶ月。
父と一緒にヴァージンロードを歩きたい。
ついこの間まで、一緒に歩けると思ってた。
劇的に回復した父を見て、少し気を抜いていた。希望を持ってしまった。
なんでこのタイミングなのかな。あと2ヶ月なのに。
7年しっかり頑張ってきたのに。なんでこのタイミングなんだ。
でも、父にとっては、まだ2ヶ月もあるのか、なのかもしれない。
痛みを抱えながら、もう良くはならない身体を持ちながら、2ヶ月耐えるのはもう酷なのだろう。
父の生きる可能性を私があきらめてしまってはダメだと分かっていても、もう苦しんではほしくないと思う。気持ちが矛盾してしまっている。
地元にもどって父の看病をしていた3週間前、もう涙は出し切ってしまったと思ったのに、今日もずっと泣いていた。
悲しい。全然覚悟が出来ていない。
「気を抜くなよ、お前が気を抜いたら、一瞬で連れて行くぞ」って誰かに言われてるみたいだ。辛い。気が休まらない。
このまま、何も悪くならずにまた退院してほしい。お願いします。