りさねこブログ

1988年生まれ。アラサー。 本を読んだり、人と語るのが好き。感じた事を吐露する場所。

父のこと。悲しい気持ちを切り替えること。

昨日ひたすら泣いた。
父はまだ最期ではないのに、寂しくて。思い出がたくさん。

医者は、5月の結婚式まで持たないと言ってるらしい。
けど、あの医者は寿命予想3回外してるからな。

あの医者嫌いだ。

前回は、睡眠剤入れすぎて意識朦朧とさせたりしてたもんな。

父の意識が戻ったあと、「睡眠剤入れすぎたかもですね(あは…)」って言っていた。

家族はみんな父が無事起きた事のほうに安心してたから、先生を責めなかった。

人間だから間違える事があっても仕方ない、 医者にも大切な人を大切に思う気持ちがあるとは分かっているけど、医者の間違いはどうしても悔しい。悲しい。
頭で分かっているのに、仕方ないとはどうも思えない、思いたくない。「自分の家族は例外だ」って思ってる典型的な感情だろう。



父の印象的な姿を思い出しては泣く。

一旦看病を終えて遠くに嫁ぎ先に帰る私を、病室で見送ってくれた時。
それまで寝たきりだったのに、ベットの横にしっかり立ってくれて、
笑顔とちょっと泣き顔が混じった表情で見送ってくれた。

『寂しいけどな、本当は嫁なんかにやりたくなかったけどな、でも元気でがんばれよーっ!幸せになれよーっ!』って、顔に書いてた。

親の心子知らず、って言うけど、子の心親知らずでもあるよ、父。
私の孫見るまでは、まだ父で居て欲しかったよ。


あの姿を思い出すと涙が止まらなくなる。
でも、父のあの姿を見せてくれた事、私の記憶に残っていてくれる事だけでも、幸せだと思う。
私は覚悟を決めなきゃならない。

父は何故この時期に、数あるガンの中でも予後不良膵臓ガンにかかり、
私は何故この時期に膵臓がんの父を抱えているのか。

今は分からないけど、きっとこれは大切なことにつながってるんだと思う。私の中で大切にしないといけない何かに。


誰かが亡くなる時、その人と周りの人達の間にある意識や世界が切り離されて、お互いが亡くなりあってる。
パパの意識の中に私はいなくなるということは、パパの前から私が亡くなるということ。
亡くなるのはその人だけでなく、私も亡くなる。
実際にはこの世に私は残り続けるんだけど、
そんな気がする。話はへんてこりんだ。


父の今回の世での役割は最期を迎えても、
また新しい命としてこの世に産まれてくると信じたい。
もしも将来私の子供として産まれてくることが出来たなら、その時はまた一緒に生きようね。
次は私が母になって、父から教えてもらった事をまた伝えます。そしてまたいっぱい教えて下さい。


またの再会までに、ちゃんと成長したんだよって胸をはれる女の人になっていたいな。

今週末には帰るからね。待っててね。


ツナグ(本編1枚+特典ディスクDVD1枚)

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辻村深月さんの話は夢があって好きだ。
ツナグがもし本当に居るなら、会ってみたいような会わないほうがいいような…と迷う。
でも、こんなことが出来る人が本当に居るかもしれないと思うだけでも、気がちょっと安らぐ。

「人が空想出来る全ての出来事は、起こりうる現実である」らしいもんね。