りさねこブログ

1988年生まれ。アラサー。 本を読んだり、人と語るのが好き。感じた事を吐露する場所。

すい臓ガンの父が、危篤状態からの回復。感じた事。

 

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父が危篤状態になった、先週末。医者には、あと4、5日だと言われた。

 

急いで帰省したが、私が病院に到着したころには痛み止めと眠り薬が大量に投与されていて、

父はまともに話が出来る状態ではありませんでした。

 

最期を覚悟

数日間、昏々と眠り続ける日が続いた。

医者からは、「いつ意識が無くなってもおかしくないので、今のうちにたくさん話しかけてください」と言われた。

そんな状態の父を前に、聞きたい事話したい事などすぐに頭に浮かぶはずもなく、ずっと泣いていた。

 

そんな状態でも実家に住む母たちの生活は続くため、父の看病に専念し続ける事はできず、私は父の車を借りて外出をする事があった。

延滞していた家の光熱費・家賃の支払い、父の退職手続き、実家にある父の忘れ物などを取りに走った。

運転席は父のにおいがした。

どんな気持ちでこの席に座り、どんな気持ちで自宅までの道のりを歩いていたんだろう? 

想像すると寂しくて悲しくて涙が止まらなかった。

父が居ない実家は廃れて見えた。

 

私は昔から父の事は大好きでした。

どちらかというとパパっ子だったのでずっと一緒に居たけど、もっともっとたくさん話しておけば良かったと後悔した。

でも、ガンの苦しみから解放されるなら...と思う気持ちも、少しはあった。

 

 

帰省したその日から病院に泊まり込み、祖母と交代しながらパパの容体を見守った。

点滴でどんどん体が浮腫んでいき、目脂でまぶたが固まり目を開けられない父の様子を見ながら、

最初は悲しくて泣いてばかりだったけど、

睡眠不足で頭はもうろうとしながらも、少しずつ私の中でも最期の覚悟は決まってきた。

 

もしも夢の中に出て来たら、「今までありがとう」って言おう、とも決めていた。

 

回復の兆し

しかし、今週の月曜日に奇跡的に目を覚ました。

目が覚めたと同時に、5月に予定している結婚式のドレスの写真を見せた。

あんなに大量の涙を流している父を初めて見ました。

 

5月のウエディングロードは一緒に歩こう、と何度も言った。

父もうすうす、5月まで自分の体は持たないと覚悟をしていたみたいだった。

 

だけど、根気づよく支えてくださった看護師さん、同郷の同級生、ゴルフ仲間からの応援・お見舞いのおかげで、

今は一人で歩けるまでに回復している。

 

医者もこんなに早くここまで良くなるとは、と父の生命力の強さに驚いていた。

 

 

 

医者の寿命宣告は当てにならないと思った。

 

一般的に、普通は、常識的に、という言葉は全く当てにならないことを、目の前で見ることが出来た。

 

 

  

ただ、既に膵臓と肝臓がガンに冒されているため、また再び状態が急変してもおかしくない状況であることには変わりがないとのこと。

まだ油断は許さない時期だけど、確かに父に奇跡は起きた。

 

 

 

父は7年前に膵臓ガンになり、初めて手術をした。

当時はすでに末期の第3段階、手術に成功しても半年の命だろうと言われた。

 

手術は成功したが、膵臓は健康な人の3分の1しかなくなり、食事後は下痢を伴うようになり、

抗がん剤治療、新薬の臨床試験の被験者となり、大量の薬の服用し手のひら足の裏は副作用で黒ずんだ。

悲しくもないのに、常に目から涙が出るようになった。

 

だけど、職に就けるほどまでに体調は戻った。

 

 

膵臓ガンは見つかりにくく、見つかった時にはもう末期である事が多いとのこと。

 

しかし、その膵臓ガンを患いながら7年も生き続けている父は、奇跡の存在と言っても良いと思う。

 

7年前は、まだ私の中では覚悟が出来ていなかったが、今回の入院は、私も父も最期を覚悟した。

だけど、今回もまた、父の最期では無かった。

 

ただ、退院できたとしても、勤めていた会社から退職勧告を受けたため職はない。しばらく収入はない。貯金も無いが、800万ほどの借金はある。

今後民間の会社で勤める事は、父の体では難しい。ガンを患っている人を雇ってくれる会社は無い。

 

父は生活には当分苦しむことになるだろう。

 

 

 

 

だけどきっと父には、そんな状態の中から、成し遂げなければいけない何かがあるのだと思う。

父がそれをやりたいやりたくないに関わらず。

父は命の危機から、2度も回復している。

父にはきっと使命があり、それをやり遂げるまでは神様に天国の門をくぐらせてはもらえないのだろう。

死なせてもらえないのだろう。

 

 

今回の出来事から、父は何を学ぶのだろうか。

私は、それは入院前の生活を維持することでは無いと思っている。

維持をしようとするうちは、父の使命は見つからないとも思っている。

 

 

「父は何の為に生まれて、誰に対して何をするために何をしなければならないのか。」

 

父に言えば、大袈裟な言葉だと笑われるかもしれないけど、私はこう思う。

 

 

もしかしたら父は、同じようにガンで苦しんでいる人たちに希望を与えられる存在なのかもしれない。

それは気功師になれとか医者になれとか、そういうことじゃなく。

話下手の父だから伝えられる事、父にしか出来ない事、伝えられる事があると思う。

 

だけど今の本人は、それを心から感じてはいない。

今は、今の生活を現状維持しようとしている。

今の父に、周りがどんなに「現状維持ではなく、現状突破なんだよ」と言っても、納得していない。耳も貸さない。

 

でも、父はそれに気づかないといけない。それに気づく為に、今は休息してほしいと思う。

 

 

 

父の体調と気持ちの足並みが一刻も早く揃い、父自身の使命に心から気付き、それを成し遂げられますように、と願う。