先の記事を書いて思ったこと
自分の状況を考えてみると、
言葉にするのが好きだとか
絵を描くのが好きだなんて
言ってるうちは、幸せなほうだ。幸せな時期だということだ。
本当に本当に辛い時、
その気持ちを言葉にすることは出来ない
「言葉で、気持ちの大きさを伝えることが出来ない」ってこと。
言葉は範囲があって、それで感情や出来事を伝えるには限界がある。
何度言っても感謝という大きさを伝えられないように、
何度言っても、何という言葉を使おうとも、悲しみや苦しみの大きさは伝えられない。
自分の気持ちのすべては、相手に伝わらない。
私も経験したはずなのに、なぜ忘れてしまうのか。
なぜ忘れて、言葉が全ての様に思ってしまうのか。
言葉にすることが好き、とは言えない。
やすやすと好きとは言ってはいけない。
言葉って、そんなもののような気がするんだ。
言葉ありきの感情じゃなく、
感情ありきの言葉。
言葉には限界がある。
感情には限界はないし、そもそも測れない。
言葉にするのは嫌いだ。
気持ちや感情がすべて言葉にすることができたら、相手は対処しなければならない。取り合わなければならない。
取り合うなんて、そんなの無理だ。
人間には出来ることに、かまってあげられることに限界がある。
限界があるから人間で、人間はいつかは死ぬんだ。
限界が無い人間が永遠の命を得るんだと思うけど、そんな人間はいない。それはそもそも人間ではない。
でも私は言葉に救われてもいる。
言葉に出来ないことがあるから、
取り合わなくていい事がある。
構うことが出来ない出来事、がある。
言葉が嫌いだけど、言葉に救われている所もあるということ。
言葉って、いつかは離れなければならない、親みたいな存在だ。
この気持ち いったい何語だったらつうじるの? (よりみちパン! セ)
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何で勉強するの?の私なりの答え
私の身に降りかかることはすべて
私の糧になる
そうでなければ、
悲しいことや苦しい出来事は起きない
手元に残った悲しみを嘆くのも時には良いけれど
「生きる」ということは、すべてを糧にして毎日を過ごしていくということ
糧にさせる為には、その方法を知らなければならない
種を植えた後の手入れが分からないと、種は芽を出す前に枯れてしまう
だから勉強勉強日々勉強なのだと思う
いつか来る、自分に必要な情報を逃さずキャッチする力をつけるために
日々勉強するのが良いのだと思う
私が学んだのは、
わたしは感じた事を表現することが好きだということ
それも、「やっぱり好きなのだ」ということ。再確認。
離れた時期もあるけれど、
絵に書いたり文章にしたりすることが好き
だけど、他にも私の表現方法はあるかもしれない
絵や文章に限ることなく、表現方法が。
表現の可能性が。
それを知る為にも、日々日々勉強を続けるのが良いと思う。
ときに悩みは内に溜めてみる
たとえば、私にはよくある、こんなこと。
悩んでる誰かが持ち込んできた悩みに対して、
その人を変えようと…
いや、人を変えるなんてのはおこがましいから、その人にアドバイスしようと
思い切って自分の体験を交えて、「こーやったら未来がちょっと良くなるかもね?」なんて思う一意見を言ってみても、
結局、相手が他所で言えなかった自分の言い分を私の前でぶちまけてスッキリしただけで、相手自体が変わる事は無い。
「話を聞いてくれてありがとう」
「スッキリしたわ〜」
と言われて、終わり。
「うん、それやってみる!」なんて一言は、聞いてくれた人への社交辞令。
分かって居る。(ほんとにやる人もいるけど)
でもそれが"社交辞令"と分かった時や、自分の熱弁をサッとかわされた時の、
無力感というか、失望感と言うか…はがゆさ。虚しさ。
耐え難い…
悩んでいる本人は、ほんとは解決策なんて求めてない。グチを聞くだけ、話をきくだけでいい。
だけどそれを分からずにいたころ、
アドバイスするとか、
話を聞くと決めてかかったのは私が決めてやったことだから、恥ずかしかった。
自分の経験を踏まえて話したもんだから、とても恥ずかしい。
こんなふうに、自分の「悩みを話すこと」で、虚無感を相手に感じさせる可能性があるぐらいなら、
悩みの行為自体を、自分の中で有効利用したい。それにはどうしたらいいだろうと考えてみた。
悩みは自分の中でもんもんもんもんもん……、と持って居る方が、
自分の器の成長につながるんじゃないか?と。
ここで思う成長って、
- 自分が"悩んでいる今の状況"に支配されないこと
- 悩んでいる状態に振り回されず、冷静で居られる時間が長くなること
- また興奮状態から落ち着くまでの時間が短くなること
- "考える"という行為に、耐える力がつくこと
- もしくは、"これ以上考えない"、と問題を突っぱねる力と勇気もつく
- 日常にあふれる事象から、可能性の選択肢を見抜く力がつくこと
などなど。
「悩む自分に耐える力がつく。」
私これすごく大事なことだと思う。
それは、思わず言ってしまう(やってしまう)" ウッカリ "が、ゼロに近づくってこと。
ウッカリ言ったことって、後で思い返せば恥ずかしい事が多い…。(酔っ払ってた時の言動ほど、あとで見返して恥ずかしくなるものはない…。)
私の経験を振り返ると、
誰かに悩みを話すことは、
解決法を教えてほしいんではなく、
私がどれほど頑張って来たかをひけらかしたかった、頑張りを第三者に認めてもらいたかった時が多かったよな
、と思った。
最初は悩みの内容を話していると思ってても、
最後の最後のほうは、気づけばグチになっている。
そう、気づけばグチになってる。感情的な会話になってる。(これは他の人が悩みを話してくれたときも、だいたいそう。)
そんな自分に気付いても、その時にはもう遅い。既に、悩み自体を解決するという意味を、成さない会話になっている。
『あぁこんなグチを言いたいんじゃない。
悩んでる内容を聞いてほしいの…
ほらほら、聞いてくれてる人がどんどんつまらなさそうになってる…
しかもなんか一緒になって怒ってるし、言い方も心なしかキツくなってない…?この人には、関係無いのに巻き込んでる…
あっ、まちがえて気持ちと裏腹な事言っちゃった…
あぁ…これでまた支離滅裂。自分の方向が分からなくなっていく…』
という負のループにはまって、その日から数日はポジティブな自分が表に出て来れなくなる。
ここからの状況って、すごく苦しい。
悩むこと自体も確かにとても苦しいけど、
1年、1ヶ月、1週間経てば、もしくは環境を変えればいつのまにかその時の悩みは忘れてしまえる。だから悩むこと自体は問題ない。
『誰に言われたわけでもないけど、日々良い方向に必ず進んでいると信じること。』
これを信じるには、悩みという行為に自分が負けない力が必要になる。耐える力が。
その力をつけるには、悩みのエネルギーをむやみに外にださずに自分の中にとどめておくこともひとつの手だと思う。
悩みの中に身を置き続けること。
莫大なエネルギーの渦中に身を置くことなんだけど、それをも自分に取り込んだら、一気に器のデカイ人になれる気がする。
悩みを誰かに話すことは、もったいないと思う。
悩むということは、自分の中にエネルギーが、温泉を掘り当てた時のように湧き出ているってことだと思う。そのエネルギーを無駄にしてはいけない。
そのエネルギーを自分の為に使い、それが他人の為に繋がるように働かないといけない。
悩めることはラッキーなこととは言わないけれど、悩みの内容はネガティブでも、悩んでる行為自体は悪くないこと。
私はそう思う。
(ただ、耐えすぎて潰れる前のガス抜きは、必ずするべき。)
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話は飛躍するけど、本題。
私、SNSでの投稿数が多いほど、自分の内に感情を溜め込めておけない、「我慢弱い人」なのだと思う。上記の事が出来ない、あるいは苦手な人。
感情とは、良いものも悪いものも含めて。
(良く「見たくない」と言われる投稿といえば)
オシャレで有名なカフェ来ましたの料理写真
大勢でワイワイとたのしげなパーティの様子
飲み会のあとのラーメン
生まれたての我が子と、その成長ごとの写真
感じた"高貴"な事、名言
いずれも、読み手には「関係無い」ことばかり。
人生において、他人のどうこうナニナニを見たり聞いた所で、何の影響もない(これは、メリットが無い、と言われるよりも冷たい表現だと思う。)
関係「有る」のは、発信側だけ。
日常会話で、自分に関係無いことをダラダラと連ねられる事に、一度でも苛立ちを覚えたことのある人は、SNSを長く続けることは難しいんじゃないかと思う。
それを体験したことのない人は、いつまでも意味ありげな投稿を続け、反応がもらえるSNSにいつのまにか依存する。
SNSで発信したい、
誰かに何かを言いたいという気持ちを抑えて、
自分の内にエネルギーを溜め込んで、自分の欲望に耐える力をつけるってことも、やってみる価値はあるんじゃないか、と思う。
「負けない」気持ちで読んだ。
勢古さん(著者さん)の考えを口語で述べている本です。
世の中、他人、あらゆる事象に対してこういう考え方の人も居るんだな、という感想です。勢古さん個人の意見なので、もちろん偏見はあります。偏見が無いと意見が言えませんもんね。
途中、「この人の、一生出会うことも無いだろうという方の考え方を知って私に何のメリットがあるのか」と思い、読むのをやめようと思いましたが、
それは、自分が読もうと決めた本を「諦める」=負け、だと思ったので、「よし、負けない」という気持ちで最後まで読みました。(笑)
最後まで読んで良かったです。
自分は自分に負けなかったから!!
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これからの残りの人生は
私も分かってあげられないように
気づいてあげられないように
他人も私の悲しみを
分かってくれるものではない。
悲しい顔をしていても、気づいてくれるものではない。
私の悲しみは 私が癒すしかない
何を使い 何に出会い 何に触れ 何を話し 誰といれば 自分を癒せるか
それらを見つけ 時をすごし 思い出にし でいくのが、これからの私の人生。
お坊さんが説いた
「病気になったことを無駄にしない生き方をする」とは…
「父の人生を あの生き様を 見せてくれたことを無駄にしない生き方」とは、
そういうことなのだと思う。
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選択肢の広さ
今は、昔に比べて手に入る情報量がかなりかなり多くなっている。
みんな物知り。
物知らなくても、
携帯があればだいたい、どこでも、いつでも、調べられる。
情報がたくさんある。
情報がたくさんあるから、
自分の選ぶ選択肢がたくさんある。
自殺、殺人。
それも、じぶんが取り得る選択肢のひとつ。
取り得るというだけで、「取っても良い」選択肢ではない。
情報がたくさん手元にあっても、選択肢がたくさんあっても、
それを選ばない勇気を持ち合わせておくほうが賢い。
何が良い選択肢なのか。
死ぬことが、殺すことが、良い選択肢なのか?
少なくとも、正しい選択肢でないのは確かだ。
良い選択肢なんて人の価値観で変わる。だから判断はつけられない。
だけど、自分が周りとの関わりの中で生きていることを分かっているなら、
上記の選択肢は正しくないことは明らかだ。
人とのつながりを感じない、感じられないひとが、上記の選択肢をとる。
つながりのない人なんて居ない。
みんな、誰かが作った建物、道路の上に立っている。知り合いではないけれど、"誰か"が作ってくれたから私はここに座れていて、立てていて、眠れる。
誰かが作った料理を、野菜を食べている。
これを"誰か"とのつながりと言わずに何と言うのか。
つながりなんて、相手と共有しなくとも自分がつながっている、つながっていたいと思えば繋がっているものなのだから。
たとえ自分が嫌だと思ってもつながっているものなのだから。
きっとそういうものだと思う。
共有しなくとも、強要しなくとも。心の中でひっそり思えばいい。
様々な選択肢がある中、
それを選ばなかった人が最終的には偉いんだ。
つながりを持って生きているんだと気づき、その選択肢を選ばなかった人が賢いんだ。
情報を精査する力を、知識を。
溢れる情報と選択肢に鵜呑みにされない勇気を。
- 作者: 鈴木邦男
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悩みとの共存。
私は、あまり人に相談しません。
進路の話、恋愛の話、将来の話、夢の話……
色々悩むことはありますが、普段人にはほとんど相談しないです。
このモヤモヤを何と表現したら良いかわからない、という理由もありますが、
相談しても結局最後に動くのは自分なのだ、ということが分かっているからだと思います。
答えは、いつも自分の中にある。そのことがよく分かっているのだと思います。
そして、答えを自分の中に見つけた時の喜びを知っているからなのだと。
もちろん、本を読むことはあります。
本の中に答えや糸口を探すことはありますが、「あぁ!これだ!」とピタリと心に響くフレーズに出会う事はほとんどありません。
でも、いくつもの言葉や経験が重なって重なって重なって…「あぁ、こういうことだ!」と気づくことばかりです。
知識それひとつでは解決出来ないけれど、複数に重なると、それは知恵になる。
それを積み上げる事が、勉強であり、人生で学ぶということなのだと思っています。
それに、本はその文章を読みながら、自分の経験と対話している。
だから、結局は自分の中に答えを探しているようなもの。
だから私は、他人に相談し、自分以外の人のアドバイスをもらって歩きだすより、
うんと悩んで悩んで悩んで…、立ち止まったとしても、また自分のタイミングで歩き出せる時期を伺うほうが好き。
なにより、前者の場合、たとえアドバイスが正論だったとしても、私自身が納得していない方法ならばそのうち立ち止まってしまう事を知っているから。
周りが何と言おうと、私は人目を気にせず立ち止まれてしまう。
この一年で、それは良く分かった。
だから、基本は後者の姿勢を大事に。
これからもきっと、悩むということを大事に、大切に。
ひとり占めにしていきたいと思います。