りさねこブログ

1988年生まれ。アラサー。 本を読んだり、人と語るのが好き。感じた事を吐露する場所。

先の記事を書いて思ったこと


自分の状況を考えてみると、

言葉にするのが好きだとか

絵を描くのが好きだなんて
言ってるうちは、幸せなほうだ。幸せな時期だということだ。



本当に本当に辛い時、
その気持ちを言葉にすることは出来ない
「言葉で、気持ちの大きさを伝えることが出来ない」ってこと。

言葉は範囲があって、それで感情や出来事を伝えるには限界がある。

何度言っても感謝という大きさを伝えられないように、
何度言っても、何という言葉を使おうとも、悲しみや苦しみの大きさは伝えられない。
自分の気持ちのすべては、相手に伝わらない。


私も経験したはずなのに、なぜ忘れてしまうのか。
なぜ忘れて、言葉が全ての様に思ってしまうのか。



言葉にすることが好き、とは言えない。
やすやすと好きとは言ってはいけない。

言葉って、そんなもののような気がするんだ。



言葉ありきの感情じゃなく、
感情ありきの言葉。
言葉には限界がある。
感情には限界はないし、そもそも測れない。

言葉にするのは嫌いだ。
気持ちや感情がすべて言葉にすることができたら、相手は対処しなければならない。取り合わなければならない。

取り合うなんて、そんなの無理だ。
人間には出来ることに、かまってあげられることに限界がある。

限界があるから人間で、人間はいつかは死ぬんだ。
限界が無い人間が永遠の命を得るんだと思うけど、そんな人間はいない。それはそもそも人間ではない。



でも私は言葉に救われてもいる。
言葉に出来ないことがあるから、
取り合わなくていい事がある。
構うことが出来ない出来事、がある。

言葉が嫌いだけど、言葉に救われている所もあるということ。





言葉って、いつかは離れなければならない、親みたいな存在だ。

この気持ち いったい何語だったらつうじるの? (よりみちパン! セ)

この気持ち いったい何語だったらつうじるの? (よりみちパン! セ)