何か書きたい、けど言葉が出て来ない時
そんな時。
半年前の私だったら、facebookを見て、twitterもみて
みんなの状況を知ったり、みんなにとってはどうでもいいつぶやきや近況つたえて「いいね!」押してもらったり
そんなことで、この何とも言えない気持ちを紛らわしたりしてた。
でも、3、4ヶ月前ぐらいから、そういうのに反応することが、
ぜーんぶあほらしくなっちゃった。
それで1日の大半を使ったりしてたって気づいたとたん、
こんな事で時間つぶすぐらいなら、知識本を読んで知識をつけた方がマシだ、と思った。
本は、途中で読む事をやめても誰にも迷惑をかけない。
自分が必要なところだけを読むことが出来る。誰かを傷つける事も無い。
イイネ!を押す、なんて必要ない。
気兼ねせず、自分の知りたい事だけを引っ張りだせる。知れる。
自分だ知ってる世界なんて、ちっぽけだーって感じる。
誰に気を使うわけでなく、謙虚で居られる。
その気軽さがいい。
こんな記事なら、私も一緒になって嬉しくなる。
友達の人生のなかでの一大イベント、たとえば結婚や出産、転職・転勤、何かの賞で選ばれたとか、何かでお祝いされたとか。喜びごと。
でも、実際にはそういったことばかりじゃなかった。
日々のあらゆる情報を真に受けてしまった。
私の頭で処理しきれる情報量を超えてしまった。
色んな有名人や、気の利いた名言をつぶやく人をフォローしてて
毎日面白い情報を持ってホクホクウキウキ、次に会った時に友達にこんな話してみよう♫なんて思って、楽しんでいたのにね。
でも、それらの大半は絶え間なく流れ込んでくる、言い方は悪いけれど「どうでもいい情報」。
それに気づいてから、有益な情報ではなくて有"害"な情報に変わってしまった。
”どうでもいい”というのは、それを知らなくても死なないというレベル。
その情報量でキャパオーバーをしてしまった私は、
自分に必要な情報とそうでない情報を、瞬時に分けられる力。知識。早さがなかったから、うまく区分けが出来なくて、1つのフォルダに入れてしまっていたんだと思う。
私の反省点である。
でも学んだ事もあったので良い経験(だったと今は思える。)
自分に必要な情報は、こっちから行かなくとも、その時になれば必ず入ってくる。
今は感覚でしか分からないけど、、、
”その時”がきたら、「自分に必要な情報だ」と気づけるように知識やカンが働くよう、
今はたくさん本を読んで勉強をしていたい、と思う。