りさねこブログ

1988年生まれ。アラサー。 本を読んだり、人と語るのが好き。感じた事を吐露する場所。

「白色」からみる自分探しの旅の必要性


「白色」と矛盾


他の色に影響を与えない「白」にも、目がチカチカする主張の強い白と、そうでない白があります。


部屋の壁紙を想像してもらうと、それらの白にも色々ありますよね。
空間が狭く見える白や、逆に、奥行きがあるような白もある。(奥行きがあるような白は、私はちょっとクリーム寄りの色だと思います。)



白は白でも色んな「白色」があるから、一概に「何者にも染まらない「白色」の人になりたい」やら、
もしくは(既に)そんな人です、と、
そう言ってしまう人ほど、
「白色」とは程遠い、かなり主張の強い色の持ち主だと思います。少なくとも私はそう感じます。


だから、自己主張はできるだけ控えめにして、あまり「私は○○(特徴、性格)な人って良く言われるんですよね〜」とは言わないほうがいいのかしれないな、と思ったのです。

そう言ってしまうと、その○○とは正反対の人だと思われてしまう可能性もあるから。

初対面さんや仕事だけの付き合いの人のような、プライベートの自分を知らない人には、その一言で変な印象を植え付けてしまいそうじゃないですか。




自分探しの旅は今いる場所でもできます


自分の性格や特徴は、会う人それぞれの価値観によって違うし、違ってしまうし、違ってしまって仕方が無いものなのだから、今居る場所から遠く離れて探しに行かなくても見つかるものと思います。

「自分」は、自分の役割(娘・孫、・お母さん・近所のお姉さん・隣の主婦...である私)の中にあるのだと気づいたら。

そして、「自分」は、自分と他人、自分と社会、自分と世界の間で存在しているから、その「つながり」を感じることができたら。


そこにたどり着けば、もうすでに、自分は何なのか、を見つけたようなものだと思います。(ちなみに、私はまだ後半の所は明確にはなっていません…。)



旅に出たい、と言うのは、
今はとにかくひとりになりたい、自分を知らない人に囲まれて、すべてをリセットしたい、と同意義文だと思うのですが、いかがでしょう。私の場合は、その結論にたどり着きました。



少し脱線しますが、相手を解釈するモノサシは、それで人を判断した瞬間に、自分のモノサシを周りにさらけ出すということです。

誰かを見て「ワガママだ」と思うことは、それが自分の中ではワガママだとおもうモノサシで、他の人にとってはワガママじゃないかも知れないです。だからそれを言葉に出すことは、程度によれば、また聞く人によれば「心が狭い人だな」と思われてしまうこともあるから、注意したいところです。




まとめ

白には色んな白があります。自分を表現したいときほど、慎重に言葉を選ぶ。

自分の白が(もしくは色が)わからなかったら、今のつながりを確かめてみるのが手。旅をしたい発言の根本の理由は、自分探しではなく、ひとりになりたい、リセットしたい時、かもしれない。

自分の性格は、他人や「つながり」が決める。自分が決めるんじゃないよ。


こころの底に見えたもの

こころの底に見えたもの