「絶対」という単語を良く使う人は、話を聞いてくれる人を探している。
「"絶対"それは間違えている」
「"絶対"こっちのやり方のほうがいいと思う」
「"全く"わからん」
と聞くと、
そう言う人は、表向きは自信がありそうに見えるけど、根っこの根っこで自分の意見には自信が無いのだろうか、と思う。
こういう人達は、
- 自分のやり方を押し付ける
- 自分の意見は正しいと思っている
- 自分のペースで物事を進めたい
人が多いんじゃないかと。
自分が"絶対"ワードを使いたくなるとき
自分が"絶対"をつけてしまう時の気持ちを想像してみると、
意見に自信がないけどなんとか説得したいとき、
相手が「話を理解・共感してくれないかも」と思った時に(そう思い込んだ、が正確か)使っている気がする。
それはちょうど、言葉のボキャブラリーが少ないゆえに、自分の感情や考えを言葉にまとめられずに、言葉より手をあげてしまいう子供と同じなのかと。
"絶対"ワードや、暴力を使う人は、
言葉で説得出来ない部分を、なんとか伝えたいもどかしさを抱えているのでは?なんて思います。
"極端"ワードのエネルギーの強さ
でも、私は"絶対"というワードの使い方は気をつけたい。
それは、とっても強いエネルギーを持ってるから。
使い方によっては、相手を全否定、不快感や絶望を与えて、
「もうこの人の話しは聞きたくない」
「関わりたくない」
なんて思わせてしまうこともあるんじゃないかな。
少なくとも私は、身近にいる"絶対"ワードん乱用する人に対してそう感じている。
気をつけたいこと
この世に"絶対"ということはほぼは無いんだから、そのワードを使いそうになったら気持ちをちょっと自制して、感じた事考えた事を落ち着いて丁寧に話せば、もっと話を熱心に聞いてくれる人は増えるだろうと思う。
そうおもわれてしまうことは、とてももったいない事だから。
大袈裟かもしれないけど"絶対"をつけて相手に伝えようとするのは、時には言葉の暴力になると思うんです。
聞く側は"絶対"、"全く"を聞くたび、
それを受け止めるため気持ちや感情のバロメーターがMAXになってしまう気がする。
↓
なんだか疲れる。
↓
窮屈さを感じる。
↓
モウキキタクナイ(´・_・`)ハナシオモシロクナイ
となる。
気持ちが極端に振れることは、決して心地いいことばかりじゃないと思うのです。
あなたもわたしもおあいこで、笑いあえる関係って素敵なんだな。